黒木奈々 自宅の最期の病床での言葉・・・感動的だけど、辛く悲しいものだった。

パットトーピー 病気から現在は解放され、天国でドラムを叩いていると思う・・・

2017年6月22日・・・乳がんで小林麻央さんがお亡くなりになりました。

小林麻央さんの死去のニュースは社会現象とも言えるほどの反響を生み、関係者のみならず、他の人の話まで浮上しているのです。

その一人が、小林麻央さんが会うことを願っていた黒木奈々さん・・・。

しかし黒木奈々さんは2015年9月19日・・・癌で帰らぬ人となったのです。

自宅を最期の病状に選んだ黒木奈々さん・・・彼女が最後に残した言葉が感動的でした。
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黒木奈々 自宅を最期の病床に選んだのは、小林麻央だけではなかった!

 

在宅医療・・・という言葉は、皮肉にも小林麻央さんの闘病生活ですっかり有名になってしまいました。

ネットで同じような言葉を調べると、終末ケアとも自宅療養とも出てきます。

言葉はどうであれ、小林麻央さんは病院よりも設備が乏しくても、市川海老蔵さんや麗禾ちゃんと勸玄くん、そして小林麻耶さんとお母さんとの時間を大切にする在宅医療を選んだのです。

家族の笑顔・・・医学では永遠に解明できない「愛」こそが小林麻央さんの乳がんを治す・・・私はそう信じたかった・・・。

しかし、癌はとても素敵な女性の命を奪ってしまったのです。

今は辛いと思うけど・・・言葉では言い表せないくらい辛いと思うけど・・・麗禾ちゃんと勸玄くんにとってはママとの時間が、一生の宝物だと私は思っています。

 

そして、同じように自宅を最期の病床に選んだ女性がいました。

ステージⅢのスキルス胃癌と闘う黒木奈々さん・・・。

スキルス胃癌は、かつての女性タレント堀江しのぶ さんが患い、わずか23歳で亡くなった恐ろしい病気です。

そんな、スキルス胃癌を患った黒木奈々さんは小林麻央さんと同じ事務所に所属し、偶然同じ上智大学の同級生だったのです。

大学は一緒でも学部が違うので面識があったとは思えませんが、小林麻央さんは共に癌と闘う者として黒木奈々さんと会うことを願っていました。

しかし、スキルス胃癌が小林麻央さんの願いを壊してしまったのです。

 

2014年7月に胃潰瘍と診断されて始まった黒木奈々さんの闘病生活。

その後胃癌と診断は変わり、セカンドオピニオンではスキルス胃癌のステージⅢまで進行していました。

奇跡的な復帰を遂げるも・・・2015年7月に再び入院・・・。

そして2015年9月には退院していたのです。

最期を覚悟したのでしょうか??黒木奈々さんは死を目前にして、退院して自宅を最期の病床に選んだのでした。

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黒木奈々 最期の病床で残した最後の言葉が感動的だった!

 

小林麻央さんと同じ1982年生まれ・・・同じく美人で女性キャスター・・・。

小林麻央さんと違い、黒木奈々さんはご結婚はされていませんでしたが、多くの人に愛され慕われた、本当に素敵な女性でした。

在宅医療・・・家族の支えや医療関係者の支え・・・本当に多くの人に支えられて在宅医療は可能となります。

小林麻央さんの時も、市川海老蔵さんが仕事で忙しい分、小林麻耶さんと二人のお母さんが付きっ切りで看病し、小林麻央さんを支えました。

足が浮腫めばマッサージをして、小林麻央さんが落ち込めば励まして・・・まさに命がけで小林麻央さんを支えたのです。

そして・・・黒木奈々さんも一緒でした。

黒木奈々さんの時は、実のお父様とお母様が付きっ切りで黒木奈々さんを看病したのです。

最期の言葉・・・市川海老蔵さんが言うには、小林麻央さんの最期の言葉は『愛している』でした・・・。

この言葉で全国が涙し、思い出すだけで今でも泣いてしまいます・・・。

そして黒木奈々さんもお父様とお母様に同じように気持ちを伝えたのです。

「お父さん、お母さん、大好きだよ」

 

・・・どうして病は存在するのでしょうか?

どうして、最愛の家族を離れ離れにしてしまうのでしょうか?

自ら命を絶つ人がいる一方、生きたくても生きたくても・・・生きられない人がいる・・・。

病って何なのでしょうか??なぜ存在するのでしょうか??

黒木奈々さんの自宅の最期の病床での言葉を考えた時、そんな気持ちになりました。

 

いつか・・・医学が進歩したとき・・・私が生きているうちは無理でしょうが・・・地球上から病気がなくなる日が来ることを願っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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